2012年5月31日木曜日

終戦物語息子の墓標

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群馬県  宮田 珠

群馬県沼田市東倉内町、群馬県立沼田高等女学校「初等科訓導養成会生徒」玉音放送の伝言にて、全校生徒中庭に整列、朝礼台に学校長、他の先生と相対して、直立不動で玉音を聞きました。焼け付く様な暑さでしたが、汗を拭う人無く、校長先生も男泣きに全員泣き崩れました。
明治生まれの叔母は、二人の息子死を信じませんでしたが、玉音を聴き、
その夜二階で自殺しました。戦死した息子二人、叔母と三本、真新しい墓
標をたてました。心は除じよに砕け、なすすべもなく涙に疲れ果てました。

落付かず 更ける夏夜の乱れ文字

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引用元  「昭和万葉俳句前集」 【高木 二朗発行]


2012年5月30日水曜日

終戦物語b29

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群馬県  角田 千代

昭和20年8月5日、前橋の空襲は、一度北へ向かつたb29が焼夷弾を投下
しつつ戻り、すざましいものでした。県職員の主人と結婚2年、警戒警報になると主人は直ちに県庁に出勤。
私はかねてから打ち合わせしていた子福者の大家さんの乳児を背負い、弾丸雨、霧の中、逃げ場を失って川に飛び込むと、後に川が人゛で埋まり赤子   
は泣き通し、でも泣き声は生きてる証拠と、心を鬼にして頑張りました。近く
には自働車工場、製材工場が燃えて、さながら生き地獄、夜が明けて主人
と感激の対面をしました。

玉音聞く父の涙や戦い終わる
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引用元 「昭和万葉俳句前集」 【高木 二朗発行】


2012年5月26日土曜日

終戦物語敗戦の日

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石川県   熊本県 間山 久

海軍少年航空兵「飛行予科練習生」として、石川県小松市の基地にいた。
滑走路つくり、松根油堀りの傍ら、沖縄に飛ぶ特攻機をみおくる毎日だっ
た。敗戦の日、キャメルゃサイダーが支給され、大いに戸惑った。当時15歳。

特攻へ松葉牡丹の誘導路

鳥取県  大阪府 沢田 多喜子

あの日私わ疎開先の鳥取県津の井小学校6年生でした。お昼ごろ講堂に
集合し校長先生が涙に咽びながら終戦を告げられ、皆泣きました。
その後竹槍が渡され、校庭で竹槍訓練をしました。鬼のような米英軍が上陸して来るので身を守る為にと**********

終戦に子ら 竹槍を身構えぬ

引用元  「昭和万葉俳句前書集」  【】高木 二郎発行」


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2012年5月23日水曜日

ハルケシベリヤ゜

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シベリヤの凍て凌ぐ術石焼きて襤褸にくるみ抱きて眠れり

故郷に帰らぬおもい一筋に耐えきし戦友よ凍土冷たし

凍寒のきはみ小川も水涸れて生活の水に凍運びぬ

凍寒に小鳥も凍え死ぬというこの山奥は笹さえ生えず

従容と戦友と虜囚の責受けし豊原の野を馬鈴薯の花咲く

札幌市  塚本 光雄

引用元  「シペリヤ抑留体験記」 (城 田 敬 助 発行)

2012年5月16日水曜日

終戦物語 大阪空襲

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大阪府  泉 その

大阪空襲で丸焼けとなり、主人の故郷香川県小豆島大 村に命からがら
疎開して間もなく、終戦となりました。箱庭の様な小さい美しい島を守る為
、船舶隊として凛々しい少年兵が2,3,十人隊を組み、炎天の中の訓練を
いじらしいと見つめたのでした。

炎天や 脱走兵は今いずこ  
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大阪府  富田 栄子

昭和20年8月15日、私は小学校の6年生、香川県高松に住んでいました。家族は母と妹2人、父はフイリッピン沖で戦病死とのこと。食べる物も
無く、母の知人をたょつて予讃線の丸亀という駅の駅頭に立っていました。

鋳物下駄履きたる 記憶終戦日

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引用元  「昭和万葉俳句前書集」 【高木 二郎発行】

2012年5月15日火曜日

終戦森語 広島

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兵庫県  正宗 哲治

8月15日、呉海軍工廠水雷部にて、昼夜の別無く、今日も男女学徒及び女
子挺身隊30名と共に、個室で汗と油にまみれ、人間魚雷の心臓部とも言うべき機密部品の組立作業中、本日正午に重大放送有りとの事で、全員広場に集合せよとの下命、正午の放送で終戦を知る
 
暗幕をはづし 煌々秋灯す

岡山県  宮原 義蔵

陸軍船舶部隊補給部に召集されていて、広島市宇治港外金輪島に入隊中。広島原爆被災者数千人を、原爆の日の午後、船で運んできて、金輪島の兵舎に収容す。原爆の日の午前8時には、同地で女子挺身隊百名ほど集め、外で朝礼をやっていたら原爆に遭う、一同地上に伏せた砂ほこりが顔に付いていたので、お互いに顔を見ろと入ったら、顔を見て落ち着いたので、立たせて防空壕に避難させた。

原爆に 伏せたる顔ゃ砂ほこり

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引用元  「昭和万葉俳句前書集」 【高木 二郎発行】