2012年1月8日日曜日

終戦物語

広島県  松山 菊子

終戦の日私我は、新京特別市全安区に住み、看護婦だった。家族と正座して玉音放送を聴いていた。窓邊には満人の群衆が覗きこんででいる。隣保班よりの連絡で、暴動の起こりしをしり、冷飯を結び、弾丸飛ぶ中を防空壕に避難した。近所の満人達は、日本人がいることを黙視してくれたので、生命の危険から逃れる事ができた。三日後に暴動はおさまり、行動を開始、住み慣れた家を後にし、一年後に引き上げた。

翻る異国の旗や終戦日

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引用元  「昭和万葉俳句前書集』  【高木 二朗発行】

私は終戦1月前まで新京特別市千早町の満鉄独身寮大和隊舎に住んで居ましたので、新京『現長春」の事は忘れる事は出来ません、終戦の頃には、北満東寧の密林のなかを終戦も知らずに、初年兵でなにも分からず中
隊から離れまいと必死で歩いていました、21日終戦を知り山中で中隊解散となり、5人の戦友と新京目指して当ても無く彷徨っていました、
突然ソ連兵の自働小銃に包囲され思いもしない最悪の捕虜となり3年の
抑留を経験しました。 23年舞鶴に復員しました。 長谷敏通 87歳

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