4月が終わる桜の花が散ると思えば何もしないのに日だけ
過ぎてゆくこのまま人生が過ぎ去ると思う事は寂しい
午後お寺のご誕生の会に参加 多くの人があっまつていた
私達が時代は盛大に祭りが有った事を思い出すが 昔物語
に成ってしまった 参加されていた多くの方が見られ無いのが
寂しい 頑張ろうのポスターをコンビニで大きくする 出来るの
が楽しみだ
人並みに携帯もてど 孫も子も音沙汰無しで 老いの夢きゆ
2011年4月30日土曜日
2011年4月29日金曜日
23 ,年4月29 日晴
素晴らしい天気だ 少し風が 今日は祭日だ 自分達の昔の
祭日と今とは全然変わってしまった様だ 有る事でいろんな
物の考えが有る事が今になって分かり驚くばかしだ
一つの区切りが出来たと思う 良い経験を此の歳でする
祭日と今とは全然変わってしまった様だ 有る事でいろんな
物の考えが有る事が今になって分かり驚くばかしだ
一つの区切りが出来たと思う 良い経験を此の歳でする
2011年4月28日木曜日
23年4月28日
天気良し 少し風強 速くも月末となる歳を取ってしまえば
毎日が過ぎ去る事は悲しくなるが 無事日が送れる事を
感謝以外に無い 東北の被災それた方達を思えば、速く
普通の生活に戻れる様に政府の暖かい支援を速くお願い
する
有難い世の中なれど 老いの身は病と痴呆の苦難坂道
毎日が過ぎ去る事は悲しくなるが 無事日が送れる事を
感謝以外に無い 東北の被災それた方達を思えば、速く
普通の生活に戻れる様に政府の暖かい支援を速くお願い
する
有難い世の中なれど 老いの身は病と痴呆の苦難坂道
2011年4月27日水曜日
2011年4月26日火曜日
2011年4月25日月曜日
4月25日 昔を思う
シヘリヤの抑留の事をまだ時たま思い出す事がある 、まだ20代の事だ
入ソ1年間ぐらいは人間の生活では亡かった、まるで囚人扱いだった
、戦友は多く亡くなって入った、私も亡くなった戦友をタんが担ぎ自働
少銃のソ連の兵隊の監視で凍土の荒野に穴堀をしたが、簡単に掘れ
る物ではないロスケのダバイダバイと速く速くと銃を振り回す
荒野の風邪は肌が痛い程
ふきつける、死体を半分埋める位で後はもう
掘る体力が続かない、異国の地で苦労に耐えて祖国に帰る事ばかし
望みきた亡くなりし戦友は裸同然で此の曜に異国の地で死んで入った
名前も知らず葬った事は抑留三年で一番悔やまれる悲しい思いでだ
入ソ1年間ぐらいは人間の生活では亡かった、まるで囚人扱いだった
、戦友は多く亡くなって入った、私も亡くなった戦友をタんが担ぎ自働
少銃のソ連の兵隊の監視で凍土の荒野に穴堀をしたが、簡単に掘れ
る物ではないロスケのダバイダバイと速く速くと銃を振り回す
荒野の風邪は肌が痛い程
ふきつける、死体を半分埋める位で後はもう
掘る体力が続かない、異国の地で苦労に耐えて祖国に帰る事ばかし
望みきた亡くなりし戦友は裸同然で此の曜に異国の地で死んで入った
名前も知らず葬った事は抑留三年で一番悔やまれる悲しい思いでだ
2011年4月24日日曜日
4月15日 喜び 又人生無情
彼は優秀な人材 前途は其の行動 理論は素晴らしい物を
持っていた。其の彼が倒れたこ再起は難しい病だった、
家庭でも思いも寄らない出来ごと人生とは 計りしれない事が
動く事の出来ない彼の気持を思い家 庭 思い出の場など
カメラに納める、奥様が大変喜んでくれて私も嬉しい、
病の彼も喜んでくれたとの事で良い事を下と嬉しい、
長年の友の通夜に 寂しい事だが 時の流れに逆らう事は無理
持っていた。其の彼が倒れたこ再起は難しい病だった、
家庭でも思いも寄らない出来ごと人生とは 計りしれない事が
動く事の出来ない彼の気持を思い家 庭 思い出の場など
カメラに納める、奥様が大変喜んでくれて私も嬉しい、
病の彼も喜んでくれたとの事で良い事を下と嬉しい、
長年の友の通夜に 寂しい事だが 時の流れに逆らう事は無理
23,年 4月22日 日記
今日は大変嬉しい日でした。少しの事でこんなに喜ばれるとは
歳を取ってなんだか気が滅入ってしまう日が多いのだか。
3人の方からお礼を幾度も言われた有難い事だ。残された余生
を少しでも人先に喜ばれる様な小さい親切をして行きたい
高齢者クラブの総会が有ったと班長さんが弁当を待ってこられた
美味しく頂く。庭の風車がよく回る気持良し
歳を取ってなんだか気が滅入ってしまう日が多いのだか。
3人の方からお礼を幾度も言われた有難い事だ。残された余生
を少しでも人先に喜ばれる様な小さい親切をして行きたい
高齢者クラブの総会が有ったと班長さんが弁当を待ってこられた
美味しく頂く。庭の風車がよく回る気持良し
2011年4月23日土曜日
4月22日 晴 風強
リハビリに病院に行く 入ろいろな人がリハビリを受けて病と闘っています
、高齢の人がほとんどだ 、腰 足の不自由 歳を取ればいたしない病
だか、健康こそ生きる為の一番の望みだ、若い内 シベリヤに抑留て゜も
召集された歳を取られた方は栄養不足 労働の過酷でおぉくの方が異国
の地でなくなられた、そのことも忘れされよう成りつつ有る、私は少しでも
生きて子供達に其の悲劇を伝えたいたい気持が強い
、高齢の人がほとんどだ 、腰 足の不自由 歳を取ればいたしない病
だか、健康こそ生きる為の一番の望みだ、若い内 シベリヤに抑留て゜も
召集された歳を取られた方は栄養不足 労働の過酷でおぉくの方が異国
の地でなくなられた、そのことも忘れされよう成りつつ有る、私は少しでも
生きて子供達に其の悲劇を伝えたいたい気持が強い
2011年4月16日土曜日
異国の丘 作者 長谷敏通 63年前 ハバロスク収容所
疲れ果て足引きずりて 我が宿舎に帰る、今日も終われり汗の一日、
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、異国に送る三年の月日、
夢に懐かしの母を見、幻に恋いしき人を思う、我々は勝利を信じ、
祖国の鬼たらん事願いぬ、神風ついに吹かず、祖国は廃拠と化し、
喰うに米無く住むに家無く、亡き同ぼうの地の叫び民主の声、
我 捕らわれの身なれど、祈る祖国に幸あれと・
上陸地 舞鶴港 出港地 ナホトカ 23年6月27日 船名 信濃丸
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、異国に送る三年の月日、
夢に懐かしの母を見、幻に恋いしき人を思う、我々は勝利を信じ、
祖国の鬼たらん事願いぬ、神風ついに吹かず、祖国は廃拠と化し、
喰うに米無く住むに家無く、亡き同ぼうの地の叫び民主の声、
我 捕らわれの身なれど、祈る祖国に幸あれと・
上陸地 舞鶴港 出港地 ナホトカ 23年6月27日 船名 信濃丸
2011年4月11日月曜日
シベリヤ抑留 体験
昭和20年 7月5日 満州 新京「現在長春」新京神社にて集合 多くの人達に
万歳の声に送られ新京駅を跡にする、現役兵としてソ満国境東寧老国山満州
574部隊入隊する、8月10日ソ連軍との戦闘の為老国山東方の山に配置す
る、14日 前方の部隊本部は善戦せしもソ連機械化戦車部隊に大損害を受け
撤退 東方山の我が284連隊2大隊機関銃隊は山の陣地より先方に揚がる.花火の様な戦闘を夜が明けるまで見ているだけで時間だけ過ぎていました、
山の上より見渡せは下の道路を見た事も無いソ連の機戒部隊の重戦車 6輪車
自動車 ジープ 其の装備の凄さに我が中隊は為すすべも無く後方に撤退しか
有りません、山中を敗走 昼間はソレン機の上よりの監視で行動は難しく敗戦の
苦しい道のりでした、8月21日コンシュン山中で停戦を知り 武器を処分せり
中隊は解散 自由行動となり 山中を長春目指して戦友5人と彷徨しました
突然激しい自働小銃の弾に囲まれソ連兵の筒が背中に横にぴたりと足はとまり
両手は上に上がっていました、ソ連兵の手が激しく体全体をはいまわりました
私は死を予感しました、ソ連兵のダバイ ダバイ前に行けと 背中の筒はピタリ
離れません足は動きません筒先は背中に喰い込みます。
万歳の声に送られ新京駅を跡にする、現役兵としてソ満国境東寧老国山満州
574部隊入隊する、8月10日ソ連軍との戦闘の為老国山東方の山に配置す
る、14日 前方の部隊本部は善戦せしもソ連機械化戦車部隊に大損害を受け
撤退 東方山の我が284連隊2大隊機関銃隊は山の陣地より先方に揚がる.花火の様な戦闘を夜が明けるまで見ているだけで時間だけ過ぎていました、
山の上より見渡せは下の道路を見た事も無いソ連の機戒部隊の重戦車 6輪車
自動車 ジープ 其の装備の凄さに我が中隊は為すすべも無く後方に撤退しか
有りません、山中を敗走 昼間はソレン機の上よりの監視で行動は難しく敗戦の
苦しい道のりでした、8月21日コンシュン山中で停戦を知り 武器を処分せり
中隊は解散 自由行動となり 山中を長春目指して戦友5人と彷徨しました
突然激しい自働小銃の弾に囲まれソ連兵の筒が背中に横にぴたりと足はとまり
両手は上に上がっていました、ソ連兵の手が激しく体全体をはいまわりました
私は死を予感しました、ソ連兵のダバイ ダバイ前に行けと 背中の筒はピタリ
離れません足は動きません筒先は背中に喰い込みます。
2011年4月10日日曜日
4月10日 展示写真の作成
展示する霧島山の観光案内 、えびの市の観光 案内
栗下地区の案内は 金松法然 三徳院 南方神社
加久藤城跡 鶴寿丸の墓 永山運動公園 の写真
えびの市の宿泊ガイド 明月焼酎 写真など展示
する 詳しい事は次にします
栗下地区の案内は 金松法然 三徳院 南方神社
加久藤城跡 鶴寿丸の墓 永山運動公園 の写真
えびの市の宿泊ガイド 明月焼酎 写真など展示
する 詳しい事は次にします
2011年4月7日木曜日
2011年4月6日水曜日
予定
4月6日 晴れ 予定 午前中に先日火災に遭った浜川原の水車の
木下さんの見舞に行きます 小さい頃から思い出に残るあの小屋が
どの様になったか寂しい 午後は月一度の短歌会に出ます 妻の
タツエが気持が乗らないと出席しないのは残念
木下さんの見舞に行きます 小さい頃から思い出に残るあの小屋が
どの様になったか寂しい 午後は月一度の短歌会に出ます 妻の
タツエが気持が乗らないと出席しないのは残念
2011年4月5日火曜日
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