2013年3月21日木曜日

吉都線開通100年祭写真

吉都線が開業して今年10月1日で100年となります、
吉都線は鹿児島県姶良群湧水町の吉松駅から宮崎県都城市の
都城駅に至る九州旅客鉄道の鉄道路線です。 

肥薩線八代駅ー吉松駅間と合わせて「えびの高原線」愛称が付
けられています。 吉都線は吉松ー小林町「現在の小林市」間が
宮崎線として大正元年「1912年」に開業したのが始まりです。
大正2年10月8日には、都城までの全線が開通しました。

昭和7年「1932年」12月6日、都城ー吉松間が吉都線と改称され
、昭和32年7月5日に上江駅が新設されました。

最後の蒸気機関車
固い鉄の塊が、黒い煙を吹きあげ、白い蒸気をばらまきながら走る
姿は、勇ましいものです、私達のえびの市も鉄道の開通によつて
栄えてきました、かつては、味の良い真幸米が名産の霧島馬が、食
糧難を救つたカライモが貨車一杯に積み込まれ送りだされました、
しかし、鉄道も近代化が進み、蒸気機関車は次第に引退への道を
歩み、昭和49年、全廃されました。

全線が無人
昭和61年にはえびの市内全線が無人化となりました。平成2年11
月1日 京町温泉駅 えびの駅 えびの上江駅 えびの飯野駅と
改名されました。

引用元  「えびの市企画課政策係 吉都線100年実行事務局」


私 長谷は15歳で渡満 満鉄新京「現長春市」 満鉄新京機関区
入社 仕事は機関車の清掃でした、真っ黒になりながら経験のな
い苦労からでした、半年ぐらいは故郷が忘れる事は出来ませんで
しが、いままて経験した事もない異国の生活も少しなれました。
ガス 水道 暖房 バス 電車の都会に驚くばかしでした。
とくにガスには驚きでした、機関区の仕事も人並みに試験をうけ
若さを楽しむ毎日でした、当時は日本人としての誇りを持っていまし
た、思い出は当時世界に誇っていました「特急アジア号」に機関助手
として「新京ー奉天」間に乗務出来た事でした、

何とか苦労して機関士科の試験に合格 奉天教習所に入所、やっと
卒業、戦時下とはいえ20歳で機関士に慣れた事は自分なりよくぞ
渡満の目的が達成された事によろこびを感じました、
新京駅にて貨物編成の新米機関士として勤務していましたが戦局は
私達が何も知らないうち悪い方にむかっていた様でした、
新京神社で多くの人の万歳の声に送られ7月北満の国境の部隊に
入隊しました、ひと月ご突然のソ連機械化部隊隊の侵入でした。

部隊は全滅 わが中隊は後方山地でしたので後方に転進、8月20
こ頃敗戦を知り解散、途中10間の逃避行の記憶はありません、
唯しに物狂いに着いてゆかねば死あるのみでした。
、シベリヤ抑留 3年間の始まりでした、現在88歳

宮崎県 えびの市東長江浦633 長谷 敏通 大正14年生

2013年3月20日水曜日

吉都線の機関車
吉都線100年開通写真
舞台作りの同級生と久しぶりに会話を楽しむ
能勢君
舞台で躍る人達
えびの市栗下区へこ踊り、区民が一つに成り練習を積んで来ました子供達も懸命に練習に励んでくれました。いよいよ本番です。
さあ出番笛 太鼓 三味線 天候に恵まれ
多くの観衆の前で歴史にのこる熱演でした。
えびの駅 小林方へ
栗下区 踊る人達
子供達の懸命の踊り 有り難う
駅前の風景
 

2013年3月17日日曜日

 吉都線100年開通記念栗下区へこ踊祝参加

舞台作り


 
えびの市栗下区へこ踊り保存会、
音楽に合わせ踊り子達の息の合った踊りに観衆も大喝采、辛い練習を乗り越え本番は大成功。100年祭に大きな花をそえました。
広場で出番を待つ緊張の踊り子達

2013年3月14日木曜日

宮崎県吉都線100年のあゆみ

吉都線が開通して今年で100年となります、
吉都線は、鹿児島県姶良群湧水町の吉松駅から宮崎県都城駅に至る
九州旅客鉄道の鉄道路線です、、肥薩線八代駅ー吉松駅間と併せて
えびの高原線の愛称が付けられています。

1912年 大正元年10月1日 宮崎線吉松ー小林町で開通
京町駅、加久藤、飯野駅、小林駅が新設

1913年 大正2年5月11日 小林町ー谷頭間が延長開業、高原駅、
高崎新田谷頭駅新設、

2013年3月11日月曜日

桜島の噴火

大正三年桜島の噴火があったが、その時の模様を飯野史では次のよう
に記している。

大正三年一月12日午前10時20分桜島の爆発あり、一大音響と
共に振動甚だしく、数分にして清澄なる南方天の一角に当たり、
もうもうとして黒煙天に沖し、忽ち灰焔四天を覆い頻時にして降灰し
きりに至り、一面灰の天地と化し、加うるに地震しきりにして止まず
壮絶を極む、

ために鹿児島方面より避難するもの陸続たりしも、同方面旅客を一
時みやわせ、殆ど輸送中止の状態となりしも、爆発幾分沈静に帰す
るや慰問又視察として往復するもの多く、又貨物の輸送漸次旧態に
複するに至れり。


引用 えびの史史談会発行 史談史より 

2013年3月6日水曜日

終戦物語

福岡県遠賀群 S氏

私は昭和19年年3つ月に渡満4月に南満州鉄道会社に入社しました、
大連鉄道教習所の教習課程は8ケ月でした。同年11月修了と同時に満鉄の安東駅に赴任しました、国境を流れる

2013年3月3日日曜日

潜水艦見学t鹿児島錦江湾にて

 強く心に残る潜水艦の見学

桜島を背に錦江湾に浮かぶ潜水艦「はやしを」。艦上に艦長以下、多くの乗組員が手を振って迎えてく
れました。昨日の天候は嘘の用に私達に好運を与えてくれました。高齢者クラブの研修旅行でした。高齢者の見学は危険なので出来ないとの
断りでしたが幾度お願いしましてやっとかなえられた人生最大の研修です
私たちの時代ではその姿さえ見る事は出来ませんでした幻の軍艦です。
昨夜は興奮で寝れない夜でした、迎えの船にやっと乗り潜水艦えと錦江湾の真ん中の軍艦え波を切って進む潮風に興奮に胸は痛む程でした、
目の前に浮かぶ80メートルの長さの鉄の黒船。架けられた縄はしごに
必死の覚悟で足を運びました、80すぎての此の感激隊員の差し出す手を思いきりにぎる
 
昇降口の鉄梯子に手がふるえる、艦内を二手に分かれて見学者
14人、潜望鏡を両手で回す、息が止まる程の緊張と嬉しさ、艦長の丁寧な説明を受けた、乗組員は全て優秀な軍人で心一つでなければ艦は動かないと説明がありました。大きな魚雷を抱く用にして寝台がありました。
心にのこる場面でした、
 
艦上で記念写真。初めて鹿児島の市内を見る事が出来ました桜島が私達の感激を表している様でした。下げられた梯子を一歩一歩慎重に下り艦長乗り組員の見送りを受け高齢者クラブの記念すべき研修は無事おわました、平和のありがたさと健康で参加出来た人生最大の出来事でした平成17年3月15日 潜水艦「はやしを」
 
宮崎日日新聞窓欄に投稿しました私の記事です81歳
 
長 谷 敏 通 現在 88歳