吉都線が開業して今年10月1日で100年となります、
吉都線は鹿児島県姶良群湧水町の吉松駅から宮崎県都城市の
都城駅に至る九州旅客鉄道の鉄道路線です。
肥薩線八代駅ー吉松駅間と合わせて「えびの高原線」愛称が付
けられています。 吉都線は吉松ー小林町「現在の小林市」間が
宮崎線として大正元年「1912年」に開業したのが始まりです。
大正2年10月8日には、都城までの全線が開通しました。
昭和7年「1932年」12月6日、都城ー吉松間が吉都線と改称され
、昭和32年7月5日に上江駅が新設されました。
最後の蒸気機関車
固い鉄の塊が、黒い煙を吹きあげ、白い蒸気をばらまきながら走る
姿は、勇ましいものです、私達のえびの市も鉄道の開通によつて
栄えてきました、かつては、味の良い真幸米が名産の霧島馬が、食
糧難を救つたカライモが貨車一杯に積み込まれ送りだされました、
しかし、鉄道も近代化が進み、蒸気機関車は次第に引退への道を
歩み、昭和49年、全廃されました。
全線が無人
昭和61年にはえびの市内全線が無人化となりました。平成2年11
月1日 京町温泉駅 えびの駅 えびの上江駅 えびの飯野駅と
改名されました。
引用元 「えびの市企画課政策係 吉都線100年実行事務局」
私 長谷は15歳で渡満 満鉄新京「現長春市」 満鉄新京機関区
入社 仕事は機関車の清掃でした、真っ黒になりながら経験のな
い苦労からでした、半年ぐらいは故郷が忘れる事は出来ませんで
しが、いままて経験した事もない異国の生活も少しなれました。
ガス 水道 暖房 バス 電車の都会に驚くばかしでした。
とくにガスには驚きでした、機関区の仕事も人並みに試験をうけ
若さを楽しむ毎日でした、当時は日本人としての誇りを持っていまし
た、思い出は当時世界に誇っていました「特急アジア号」に機関助手
として「新京ー奉天」間に乗務出来た事でした、
何とか苦労して機関士科の試験に合格 奉天教習所に入所、やっと
卒業、戦時下とはいえ20歳で機関士に慣れた事は自分なりよくぞ
渡満の目的が達成された事によろこびを感じました、
新京駅にて貨物編成の新米機関士として勤務していましたが戦局は
私達が何も知らないうち悪い方にむかっていた様でした、
新京神社で多くの人の万歳の声に送られ7月北満の国境の部隊に
入隊しました、ひと月ご突然のソ連機械化部隊隊の侵入でした。
部隊は全滅 わが中隊は後方山地でしたので後方に転進、8月20
こ頃敗戦を知り解散、途中10間の逃避行の記憶はありません、
唯しに物狂いに着いてゆかねば死あるのみでした。
、シベリヤ抑留 3年間の始まりでした、現在88歳
宮崎県 えびの市東長江浦633 長谷 敏通 大正14年生
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