2012年3月27日火曜日

終戦物語延吉収容所

************ここから**********
福岡県  石井 芳美

昭和20年8月15日は終戦を知らず、東満の山中にあり、友軍特使にて敗戦を知る。武装解除をうけ、浮虜として延吉収容所に入る。遙か祖国を想い、復員を夢見て忍従の日々を送る。

終戦の記念の遺書はまだ焼かず

***********ここまで***********

いま想えば、私自身も延吉収容所に入れられた事を想い出します、どんな毎日であったか確かな記憶はありませんが、鉄条網に囲まれ惨めな日
を送りながら、祖国を帰還を想う事ばかしでした。待っていた物は3年の
抑留に成るとは、敗戦の現実でした。

2012年3月16日金曜日

終戦物語 かんかんがくがく

***************ここから************
大阪府   桝元 義雄

昭和20年8月15日は泰国バンコクにて南方軍通信隊所属。陛下の
重大放送は激励であると考えておったところ、敗戦で在ると知り、
バンコクでは食料、弾薬は十分在り最後まで闘わんと゜「かんかんがくがく」
の日々であった。

侃々諤々玉砕誓い 戦友と酌む

大阪府  松本 正男

2回目の召集で昭和18年11月宇品港から南方スマトラにむかう。
途中台湾高尾港西方沖で乗船の輸送船が魚雷を受けて沈没、5
時間洋上でさまよう。スマトラに上陸し、中部地区に駐屯、野戦病
院を開設、主計軍曹として勤務。19年11月マレー経由タイ国へ
転進、北部のランパン市に駐屯し、終戦をむかえる、住友金属工
業株式開会社正社員、昭和13年入社

刀折れ 矢尽きし軍衣汗まみれ

引用元  「昭和万葉俳句前書集」 【発行者 高木 二郎】
*************ここまで**************

2012年3月12日月曜日

終戦物語3月10日東京大空襲

終戦物語 望郷の思い

*************ここから***********

福井県 本多 修
 

昭和20年8月15日当日、ソロモン諸島プーゲンビル島におり、終戦の
報復か。飢えと闘いつつ玉砕を待つ日々、よぅやく一八日頃、終戦をしる。
日夜望郷の思い切々なり。

椰子の実の去りゆく沖に故国あり

京都府  藤井 重泰

当日はソロモン諸島のブーゲンビル島の南の基地ブインにいました。
第八艦隊所属一三一設営隊の海軍軍医大尉として、軍務「医療」に
従事し、マラリヤと栄養失調の多発に苦労しました。

八月の椰子に安らへ汝が魂ょ

**************ここまで************

引用元 「昭和万葉俳句前書集」  【高木 二朗発行】


私の義兄 もプーケンビルの戦闘で善戦空しく戦死しました、何時か是非島に墓参にと