*************ここから***********
福井県 本多 修
昭和20年8月15日当日、ソロモン諸島プーゲンビル島におり、終戦の
報復か。飢えと闘いつつ玉砕を待つ日々、よぅやく一八日頃、終戦をしる。
日夜望郷の思い切々なり。
椰子の実の去りゆく沖に故国あり
京都府 藤井 重泰
当日はソロモン諸島のブーゲンビル島の南の基地ブインにいました。
第八艦隊所属一三一設営隊の海軍軍医大尉として、軍務「医療」に
従事し、マラリヤと栄養失調の多発に苦労しました。
八月の椰子に安らへ汝が魂ょ
**************ここまで************
引用元 「昭和万葉俳句前書集」 【高木 二朗発行】
私の義兄 もプーケンビルの戦闘で善戦空しく戦死しました、何時か是非島に墓参にと
0 件のコメント:
コメントを投稿