***************ここから************
大阪府 桝元 義雄
昭和20年8月15日は泰国バンコクにて南方軍通信隊所属。陛下の
重大放送は激励であると考えておったところ、敗戦で在ると知り、
バンコクでは食料、弾薬は十分在り最後まで闘わんと゜「かんかんがくがく」
の日々であった。
侃々諤々玉砕誓い 戦友と酌む
大阪府 松本 正男
2回目の召集で昭和18年11月宇品港から南方スマトラにむかう。
途中台湾高尾港西方沖で乗船の輸送船が魚雷を受けて沈没、5
時間洋上でさまよう。スマトラに上陸し、中部地区に駐屯、野戦病
院を開設、主計軍曹として勤務。19年11月マレー経由タイ国へ
転進、北部のランパン市に駐屯し、終戦をむかえる、住友金属工
業株式開会社正社員、昭和13年入社
刀折れ 矢尽きし軍衣汗まみれ
引用元 「昭和万葉俳句前書集」 【発行者 高木 二郎】
*************ここまで**************
0 件のコメント:
コメントを投稿