2011年9月11日日曜日

終戦物語 少年少女達の終戦

***************ここから***************
満州「満州国・中国の東北部」には、昭和20(1945)年8月当時、日本の民間人は一般、開拓団含めておよそ155万が住み、うち農業開拓係者(満州開拓団、満州少年義勇軍、報国農場隊、勤労奉仕隊) などの総人数は約27万人であり,一般の128万が南満州鉄道「満鉄」、満州拓殖公社「満拓」、満州国政府の関係者ゃ商工業従事者などの人達であった・

敗戦による一般の死者は9万6、000人、開拓関係者の死者は約8万人で、一般、開拓団併せて17万6,000人であつた、開拓団員、家族の死亡率は30%近く、約3人に1人が死亡し、開拓団の犠牲者は全体の50%近くを占めている、関東軍70万の死亡率は9%、一般民間人は7,5%であった。
*************************

ソ連軍の参戦 
ソ連 日ソ中立条約の不延長の通告と宣戦布告

昭和16「1941」年4月13日、松岡洋右外相はモスクワで日ソ中立条約に調印。昭和20年「1945」4月5日、ソ連は日ソ中立条約を延長しないと伝え、未だ日ソ中立の期限内にかかわらず、同年8月8日午後6時、ソ連のモロトフ外相は佐藤尚武駐ソ大使に対して、に日本へ宣戦布告を通告した。宣戦布告は日本に打電されたが、其の電文は届かなかったと言われる。

*************ここまで*************

引用元 「えびの市史談会第45号創立40周年記念号」(記事抜粋大牟田一成著)

0 件のコメント:

コメントを投稿