大正三年桜島の噴火があったが、その時の模様を飯野史では次のよう
に記している。
大正三年一月12日午前10時20分桜島の爆発あり、一大音響と
共に振動甚だしく、数分にして清澄なる南方天の一角に当たり、
もうもうとして黒煙天に沖し、忽ち灰焔四天を覆い頻時にして降灰し
きりに至り、一面灰の天地と化し、加うるに地震しきりにして止まず
壮絶を極む、
ために鹿児島方面より避難するもの陸続たりしも、同方面旅客を一
時みやわせ、殆ど輸送中止の状態となりしも、爆発幾分沈静に帰す
るや慰問又視察として往復するもの多く、又貨物の輸送漸次旧態に
複するに至れり。
引用 えびの史史談会発行 史談史より
2013年3月11日月曜日
2013年3月10日日曜日
2013年3月6日水曜日
2013年3月3日日曜日
潜水艦見学t鹿児島錦江湾にて
強く心に残る潜水艦の見学
桜島を背に錦江湾に浮かぶ潜水艦「はやしを」。艦上に艦長以下、多くの乗組員が手を振って迎えてく
桜島を背に錦江湾に浮かぶ潜水艦「はやしを」。艦上に艦長以下、多くの乗組員が手を振って迎えてく
れました。昨日の天候は嘘の用に私達に好運を与えてくれました。高齢者クラブの研修旅行でした。高齢者の見学は危険なので出来ないとの
断りでしたが幾度お願いしましてやっとかなえられた人生最大の研修です
私たちの時代ではその姿さえ見る事は出来ませんでした幻の軍艦です。
昨夜は興奮で寝れない夜でした、迎えの船にやっと乗り潜水艦えと錦江湾の真ん中の軍艦え波を切って進む潮風に興奮に胸は痛む程でした、
目の前に浮かぶ80メートルの長さの鉄の黒船。架けられた縄はしごに
必死の覚悟で足を運びました、80すぎての此の感激隊員の差し出す手を思いきりにぎる
昇降口の鉄梯子に手がふるえる、艦内を二手に分かれて見学者
14人、潜望鏡を両手で回す、息が止まる程の緊張と嬉しさ、艦長の丁寧な説明を受けた、乗組員は全て優秀な軍人で心一つでなければ艦は動かないと説明がありました。大きな魚雷を抱く用にして寝台がありました。
心にのこる場面でした、
艦上で記念写真。初めて鹿児島の市内を見る事が出来ました桜島が私達の感激を表している様でした。下げられた梯子を一歩一歩慎重に下り艦長乗り組員の見送りを受け高齢者クラブの記念すべき研修は無事おわました、平和のありがたさと健康で参加出来た人生最大の出来事でした平成17年3月15日 潜水艦「はやしを」
宮崎日日新聞窓欄に投稿しました私の記事です81歳
長 谷 敏 通 現在 88歳
2013年2月27日水曜日
2013年1月29日火曜日
2012年9月5日水曜日
終戦物語
えびの市 湯田 鶴田静氏
昭和19年4月満鉄に入社し、大連埠頭にある鉄道教習所に、山手の自よお隊舎の寮からかょいました、大連教習所での八け月の教育課程は、難しかったモールス信号や学科に合格して同年11月に終了しました。配属は北満鉄道船
昭和19年4月満鉄に入社し、大連埠頭にある鉄道教習所に、山手の自よお隊舎の寮からかょいました、大連教習所での八け月の教育課程は、難しかったモールス信号や学科に合格して同年11月に終了しました。配属は北満鉄道船
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