2011年12月4日日曜日

終戦物語 走り書きの意書

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徳島県  園田 とく子

内務省勤めの夫は広島に単身赴任で、幼い4人の子供達と徳島県那賀郡富岡町(現阿南市)にいた私は、広島とは何んの連絡もとれぬまま、終戦日を迎えました。私のくるのをひたすら待ちながら、終戦から10日後にこの世去った夫の意書は、紙切れに鉛筆のうすれた走り書きでした。終戦がもう10日はやかったら*******といっも思います

敗戦日 ただ抱きしめし末っ子よ


奈良県   森 博

昭和20年8月15日いた場所、徳島県麻植郡鴨島町喜来365番地。私は中学生であつたが、出征して人出が不足している農家へ勤労奉仕に行っていた。その日教師
は、生徒に休戦になったといった。誰かが戦争に負けたのだといった。負けたなどといつたら、憲兵にひっぱられるのでないかとおもった。

終戦日 玉音聞いて口噛む


兵庫県  松谷 俊弘

徳島市場町の特攻基地で玉音を聴いた。予科練(13期甲)を松山航空隊で卒え、徳島海軍航空隊に転勤後、滑走路1本だけのこの基地勤務となった。敗戦を知った後は同僚たちと、ただやけ酒をあふるだけだった。

武装解かれ 積まれた基地の蝉時雨

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引用元 「昭和万葉俳句前書集」  【高木 二郎発行】

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