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徳島県 園田 とく子
内務省勤めの夫は広島に単身赴任で、幼い4人の子供達と徳島県那賀郡富岡町(現阿南市)にいた私は、広島とは何んの連絡もとれぬまま、終戦日を迎えました。私のくるのをひたすら待ちながら、終戦から10日後にこの世去った夫の意書は、紙切れに鉛筆のうすれた走り書きでした。終戦がもう10日はやかったら*******といっも思います
敗戦日 ただ抱きしめし末っ子よ
奈良県 森 博
昭和20年8月15日いた場所、徳島県麻植郡鴨島町喜来365番地。私は中学生であつたが、出征して人出が不足している農家へ勤労奉仕に行っていた。その日教師
は、生徒に休戦になったといった。誰かが戦争に負けたのだといった。負けたなどといつたら、憲兵にひっぱられるのでないかとおもった。
終戦日 玉音聞いて口噛む
兵庫県 松谷 俊弘
徳島市場町の特攻基地で玉音を聴いた。予科練(13期甲)を松山航空隊で卒え、徳島海軍航空隊に転勤後、滑走路1本だけのこの基地勤務となった。敗戦を知った後は同僚たちと、ただやけ酒をあふるだけだった。
武装解かれ 積まれた基地の蝉時雨
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引用元 「昭和万葉俳句前書集」 【高木 二郎発行】
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