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徳島県 大野 文平
山口県光工廠にて徴用工員として再三敵機の攻撃を受けしも、8月8日の正午敵機二00の襲来に遭い、五万の徴用工員右往左往、数千人の死傷者を出し、夏の列風にあふらるる世の修羅場とはこんな事か、嗚呼終篇の地ならんや。
茶毘に 付す僚友夏の夜も三日
徳島県 樫本 浩三
山口県光海軍病院入院中、八月一四日午後一時に光工廠が空襲を受けた。八月一五日は病者に取っては看護婦代わりの戦場みたいな状況で、記憶によると、この二、三日は血と水を欲しがる傷者のうめきは棲ざましきもので、玉音放送は全然しらず。
向日葵や 傷者に水をやる病者
大分県 福田 重己
当日、下関市は二度の焼夷弾空襲で焦土と化ししたるも、安徳天皇の御陵だけのこる。北浦の日本海、玄海灘は魚雷空爆で、艦船の沈没波にさらわる。関門海峡は、
当時は隔日置きに魚雷降下のb29に来襲され、終戦後もしばしば触雷轟沈するものありし。私、下関機関区(鉄道)在
触雷に 船や逆立つ終戦日
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引用元 「昭和万葉俳句前書集」 (高木 二朗発行)
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