2011年12月5日月曜日

終戦物語 皆死必殺を期しながら

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大阪府   川淵 勇

鹿児島県岩川海軍航空隊鉾  部隊淡路隊で防空隊勤務。25ミリ機銃員として空戦闘を行このう。8月15日の終戦も知らされず訓練を行う。又、戦死した戦友を数多く茶毘に付した。 

敵機去り ほっと一息蝉の声


新潟県   渡辺 賢一

終戦の日、私わ鹿屋海軍航空隊で神雷特別攻撃隊として即時待機の命を受けていた。飛行機は7機在るのみ、終日無気味な沈黙が続いた。なお、終戦を知らされたの
は17日であった。当時私は予備学生出身の零戦搭乗員であった。

待命下 蟻と戯る特攻兵


福岡県   鹿児島 泰蔵

8月15日早朝、薩摩半島伊作町と谷山町を結ぶ国道植上の杉林の中に在る野営地を出發して、池田湖畔の軍弾薬集積所に向かった時の」弾薬受領」という武者震いにも似た、緊張感は、終戦の聖勅と共に一方も無く崩れ、放心にもにた気持で帰途を急ぐ。何で負けたのか、やはり物量戦に惨敗だ。苦やし涙が込み上げてくる 。最初の応召で中支、北支を駆け回った記憶がよみがえる。二度目の応召は原隊で、そして三度の応召に******ささやかな私一人の軍歴が泡の様に消え去った。これからの日本はどうなるのか。故郷の年老いた両親をどう護ってゆけばよいのか。そして自分は。

終戦日 消えし手牒の兵事歴
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故郷の年老いた両親を案ずる気持に 私は涙が出ました、親思う心に歳を重ねて有難く感謝あるのみです


引用元  「昭和万葉俳句前書集」 【高木 二朗発行】

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