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東京都 阿部 寒林
宇治山田市、憲兵分隊勤務、憲兵兵長。玉音放送は此の庭で聴いた。この
あとすぐに数千冊の押収書籍や需要書類など焼却した。今日まで印深かったのは外宮の一隅に分隊があつたので、神宮の森が煙が汚し続けて、あたかも敗戦の象徴だったこしである。
この日より崩るる神話国旗焼く
富山県 村松 亮
三重県鈴鹿石薬師の丘、本土決戦防備に編成され我ら東海555部隊、航空気象幹部候生教育隊は、連日b29の都市空襲とグラマン機の襲撃にさらされ、隊は山中に分散、防空壕兵舎で本来の任務で或る特攻基地への気象観測データの通報ゃ、無線聴衆と傍受によるアメリカ軍の暗号解読、
南太平洋各地の気象及び航空作戦に必要な情報等、出撃地へのデータ送信を炎天下の状況において行っていた、日本の灰色の状況も事前に察知、8月15日の陛下の詔勅も、放送10分前、小隊毎に集合、無線機より生の放送を聴かされ終戦となった。眼下に伊勢志摩の海を望み、右に鈴鹿連山山系を仰ぐ小高い山の中であった。
夏燃えて 国静まりし伊勢の海
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引用元 「昭和万葉俳句前書集」 《高木 二郎発行》
終戦は日本全国いろんなとこで様々な事が少しの言葉で表現されております、貴重な生の体験です、私もシベリヤの山中で終戦をしりまたが、
終戦の苦しみを後迄伝え残して置く事の気持で貴重な手記の引用さして
戴いております、
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