*************ここから************
石川県 市波 豊州
私は、終戦を愛知県渥美半島の伊良湖湖岬の近くで迎えました。昭和12年の支那事変と同時に支那に渡り、大東亜戦争の時、青島に集結、南方各地を転戦して8年ぶりに内地の土を踏むことができ、
米軍の進攻に対処すべく濠堀の隊長として、兵隊は昼夜交代で堀り、現地の乙女達に《もっこ》で排土を運び出して貰いました。松林の中に掘立小屋を造り、そこで日夜穴堀に選念中、終戦を迎えました。
乙女等の 担ぐモッコや汗の顔
愛知県 鳥居 秋彦
その日私は、豊橋市末広町にいた。米軍機に我が家も、そして周辺の民家焼失、私は逃げる時に左足を骨折、バラック小屋で終日ぼんやりしていた。戦争に負けた事より、多数の友が犬死にをした、それがただ無念だ
夏悲し 老女が歌う子守歌
**************ここまで***********
引用元 「昭和万葉俳句前書集」 《高木 二郎発行》
0 件のコメント:
コメントを投稿