2012年1月18日水曜日

終戦物語

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福岡県  河村 勝子

私は勤務校であった八幡市神原高等国民学校が、その年の8月10日に
昼間の大空襲で校舎が焼失し、米軍の上陸が迫って居るとのことで婦女子は優先的に避難を命ぜられ、郷里の大分県日田市に帰りましたが、ここも危なく、遠縁を頼りずっと田舎にとりあえず着物だけども先に疎開佐せょう
と、姉と二人で家中の者の着物車力に積んで、目的の家に着いたのが8
月15日のちょうどお昼で、荷物はそのままで終戦の詔勅に聴き入りました。

疎開荷を 降ろさず帰る涙汗

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引用元  「昭和万葉俳句前集」 (高木 二郎発行」

私は小学校時代父が製鉄所に勤めていましたので、八幡市に住んで
おりました、その頃は八幡市は多くの煙突が立ち製鉄所は活気に満ち
 
て居ました、企業祭の祭りは大変盛大で思い出は未だ残って降ります、
前になりますが、兄弟で尋ねましたが、当時の姿は全然在りませんで
した。世の中の変わりを嫌とゆうほどかんじました。

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