2011年7月14日木曜日

アメリカ軍の「グラマン」


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昭和20年8月10日、朝早く、志布志湾沖の海上にいた航空母艦を飛びたつたアメリカ軍の「グラマン」という飛行機、3機は、吉都線(都城から吉松までの鉄道線路)ぞいに飛んできて、高原と小林の境にある広原という地区のふみきり付近で、男女4人のひとを機関銃で射殺し、また、西小林の駅前では、奉仕作業に行く途中の小学生の四列縦隊に並んだ列のまんなかに、子供たちと知りながら、機関銃弾を射ち込み、十名を死亡させ、十八名に重軽傷を負わせるという、ひどいことをしました。***********市田寛幸編集 「中・小学生のための えびのと太平洋戦争」より引用 


米軍機グラマンは、さらに西へすすみ、加久籐小学校をおそいますい。8月10日とい
えば、お盆まえの学校は夏休みのはずですが、戦いの激しくなった昭和20年生徒たちも、のんきに夏休みを楽しんでいられる時代ではありませんでした。加久藤尋常高等学校{当時は国民学校}でも、上級生たちは{祖国振興隊員}として、休みも返上して勤労奉仕(パランティヤ))にはげんでいました。其の日は、栗下の長谷さん宅ふきんに国のアルーコル工場が建てられる事になり、其の整地作業にでていました。
(中 略 )其の日、高等科2年生(今の中学生))の稲留 淳さんと、ほか3、4名の生徒体のちょうしが悪いなどの理由で、作業に出られなくて、教室にのこっていました。
稲留さんの教室は二階のはしから二番目の教室だったそうです。急にバリ バリ 
バリと機銃のおとが聞こエルト、ガツ ガツ ガツ     

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