2011年7月25日月曜日

終戦物語 長崎と満州での終戦 続き

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宮崎県     大牟田 一成様

宮崎県都城で小林中学校【現小林高校】学生が昭和20年5月8日午前7時20分、都城の川崎航空機製作所の工場に動員中、爆撃によって3年生10人の若い命が奪われた。加久藤小学校で一緒だった松原区の川野利光君、私の母方の親戚の西小林の山下四郎君も犠牲者の一人であつた

終戦直前の8月10日午前9時頃、勤労奉仕作業地に向かって西小林小学校を出発した児童・生徒達が、西小林駅近くにさしかかった時、都城方面から吉都線そいに飛来したグラマン3機の機銃掃射によって、小学生8名と小林高女「現小林高校」3年生2名計10名が犠牲となり、18人が負傷を負った、7歳から15歳の少女の命が失われている。

小学生8名の中の2人は疎開中の沖縄出身者であり、小林高女3,年生の白川清子【真幸出身で当時は父君が西小林小学校校長の為西小林に在住】と 中村政子さん【大島出身で西小林に疎開中】の2名は、小学生と同じ作業地の為引率補助として手伝っていた。【当時小林高女3年生は在住校区での勤労奉仕作業であった】。

続いて飯野駅で死亡者1名・負傷者1名、加久藤小学校生徒負傷者2名の犠牲者がでている。民間人への無差別攻撃であつた
此の項はこれで又続きを

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引用元  「えびの史談会 えびの45号」「えびの史談会発行」

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