2011年7月10日日曜日

終戦物語 3年後の公報

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兵庫県  富士原 美佐子様

蝉時の中、人通りの全く絶えた昼さがりでした。国民学校2年生の私は、それが終戦を告げる玉音放送であった事を後で知りました。
そして3年後の公報により、其の日、中支にて父が戦死した日であることをしらされました。父33歳。それから8年後、幼い私達兄弟4人をのこしてこ母も病死しました。母は43歳でした。

めぐり来る父の忌日は敗戦日

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奈良県  笹岡 さかえ様

夫に3度目の召集がきたのは、忘れもしない昭和20年2月15日、体の弱い長男が、やっとお座りできた時でした。離乳食とて無く出の悪い乳房を夜通し含ませ、爆音にふるえながら、疎開先「奈良県忍海村」での毎日。やっと手に入れたミルクを温めようと、夜、火を使って警察に呼ばれ、ひどく叱られたおもいで。

千人針 求める街の辻炎暑

昭和万葉俳句前書集 発行者高木二朗 発行所マルホ株式会社より引用

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戦争の銃後を守る人達の様々暮らしの苦しさを耐えた事が分かります 「長谷」

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