2011年7月6日水曜日

終戦物語・主人は子が三歳になった時無事かえりました

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大阪府  竹川 ふさ子様

昭和18年3月結婚、1か月後夫出征。留守中に出産子を姑に預け、近くの授産場へ勤務、作業服の仕立てに従事。8月15日当時、給食があり、丼鉢一杯の雑炊、
其れが何よりの乳飲子を養う糧でした。その日当番の火を止め、作業場を片付け、
全員50名ばかりが直立してラジオを聴きました。一同泣き泣きました

その後場長の挨拶即日解散、家に走って帰り児をしかと抱いたあのとき気持ちは今も忘れません。南方スマトラにいた主人は子が3歳になった時無事帰りました
 
夏雑炊 火を止め正座ラジオ聞く

昭和万葉俳句前書集 発行者高木二朗 マルホ株式会社
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大阪府  服部 和子様

防空壕の毎日が続く暗い灯の夜、堺の町に降る焼夷弾。昭和20年7月10日あちこちに嗚咽の声。夫は満州に抑留、3人子供と共に死闘の連続、ソ連参戦、8月15日ついに敗戦の玉音をラジオで聴く。其の日は日本列島は晴れいた。

焼夷弾 花火と見ゆる火の雫

昭和万葉句前書集 発行者高木二朗 発行所マルホ株式会より引用
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戦時下銃後を命がけで子供とともに夫の無事を願い、苦労された多く女性がおられたことと想います、今の繁栄の影にお母さん達の大きい力がありました事に感謝申し上げます。  「終戦物語」著者長谷、
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