2011年7月15日金曜日

終戦物語 終戦無は其の翌日であった

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大阪市  宗元 宗春様
  
「又負けたか 大阪八連隊」と野次られ、後に「22連隊」と改名された軍隊に、未だ18歳の私が学生の身のまま臨時召集に狩り出された。終戦は其の翌日であった

怖ろしき 原爆に似し入道雲


兵庫県   高井 シヅ様

母と私は、兵庫県高砂市米田町の田舎にいた、それに、7月3日の大空襲で父祖の地姫路で全焼させられて、命からがら逃れて来た。そこで毎日毎日「疎開者」といぅ不当な圧力と苦しみに、日々疲れ果てていた、戦況も、中小都市も焼き尽くした米軍は、こんな田舎まで狙い初め、疎開している家の屋根を覆った老楠の枝をかすめて機銃掃射、「いよいよ戦争も最後」との思いが肌に感じる日々だった

すべて焼かれ 我に生命あり八・一五

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引用元 「昭和万葉俳句前集」    [ 高木二朗発行   」

空襲は私達田舎の村まで8月10日クラマン機が作業に出る子供の列に銃撃をうけて10人の子供達が亡くなりした大惨事がありました。
引用元゛「私の終戦」 「長谷敏通」

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