2011年10月1日土曜日

終戦物語 米兵の歓声で終戦をしる

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沖縄県   沖縄県   大山 盛英

この日、沖縄では既に戦終わり、生き残った人々は食を求め、はぐれた親兄弟の安否をきづかいながら、米兵の救出食糧で生きる毎日でした。私も大学の学友を失い、虚無的な収容所生活を送っておりました。あの日は玉音放送もなく、米兵の歓声で終戦を知りました。

国敗れ 島は異人闊歩する


沖縄県   愛媛県  井上 泰蔵

沖縄本島北部の金武の収容所に、三度目の切り込みで受けた左大腿部と左前肘貫通創の身を養っていた。そして湧きき立つ望郷の念と其の又裏で、当時の風潮として俘虜の果てなるものに心おののいたことであった。

飯盒に 戦友の骨鳴り盆がくる


沖縄県  東京都  山口 米治  

沖縄の最南端摩文仁の丘に独立無線通信隊は、軍司令部附きとして洞窟の中で従事。最後の抵抗も空しく25万の戦死者を出し、6月25日無刻、牛島指令官と長参謀は自決。将兵は食に食無く飲み水無き暑い毎日を蘇鉄の葉陰で知る。

唐 をわかつ寸時も迫撃砲

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引用元   「昭和万葉俳句前書集」   【高木 二朗発行】

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