2011年10月8日土曜日

終戦物語 竹槍で最後まで

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南部朝鮮    兵庫県   高  すず

当時女学校3年生。朝鮮慶尚南道馬山府在住。授業は短縮され、松根油採取、高射砲陣地構築
、軍服りボタン付け、魚雷部品作り等、動員学徒として働いておりました。当時の女子学生は最後まで戦う覚悟でした。

汗拭う者なし 玉音拝聴す


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南部朝鮮  奈良県  志岐 勝歳

大正14年生まれの初年兵「昭和19年12月入隊」。沖縄作戦に応じて、南京から昭和20年5月京城にいる。第四気象連隊本部の暗号兵である。8月8日、ソ連軍が、白城子から旧満州になだれこんだ暗号伝報も、やはり早朝に訳した、

昭和20年8月15日早朝も長文の漢字ばかりの暗号電報を訳して、敗戦を知る。時の暗号班長奥村中尉「慶応卒」の顔から、血の気が引くのお見た。12時のラジオ放送後の召集兵は本当に喜んでいた。私も生命をとりとめた事を喜んでいたと同時に、多数の兵隊の死を考え込んでいた。

召集兵 詔勅聴いて よろこべり

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引用元   「昭和万葉俳句前書集」   【高木 二朗発行】

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