2011年10月23日日曜日

終戦物語 零戦36機散華する

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台湾    福島県   酒井  信

昭和18年より終戦そして復員まで、台南海軍空軍に転属、零戦の整備兵として勤務すす。沖縄戦には、比島より飛来する米軍機の連日の空襲、緒戦遊撃に発進せる36機の零戦は、数百機の敵グラマンと空中戦奮戦するも、衆寡敵せず、台南上空において勇壮なる散華をする。残るあらゆる機は、殆ど特校機として沖縄沖へと、近く終戦となる日も知らず飛び去ったのである。一昨年【昭和58年】台南空戦友会有志により台湾戦戦没慰霊団を結成し、戦没者への鎮魂への旅を実施した。

戦友【とも】の茶毘せし跡 失せて草茂る

台湾   長崎県  小林 誠美

私は昭和20年8月15日、台湾新竹市郊外の林の中で、米軍上陸に備えて陣地作りの穴堀りをしておりました。ぎらぎらと太陽が照り付ける暑い日でした。部隊長から昼に重大放送があるとの伝達があり、終戦をつげられました。ついに来るものがきたという感じて゛、全身から力が抜ける思いでした。町は既に中国の国旗を掲げているところ多く、異状な活気がみなぎっておのました。 陸軍兵長 ゜「無線通信」

竹の春 拳銃を片手に座り込む


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引用元  「昭和万葉俳句前書集」   【高木 二朗発行】

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