2011年6月3日金曜日

23 年6月3日 終戦前後の苦労話 栗下地区の高齢者

終戦は佐世保市 近郊当時佐世保ちかくの軍需工場で働いていました。長崎に
爆弾が投下されたときの事、東の空が夕焼空の様にいつまて゛も赤かったのは
長崎が爆弾で、市内が全滅したとの噂が流れました。後で原子爆弾としりました
。八月十五日工場で終戦を知らされました、書類 部品の始末に大変だった事
が思い出されます、家にどうしたら帰れるかが一番の心配事でした、柳行李に
物を詰め父が背中に担ぎ線路を歩いた事が今夢のようによみがえってきます。
当時は塩は貴重品でした、米がなかなか手に入らないので友達と塩を持って
西諸地方が米産地と聞き、米と交換してあるいた。行きも帰りも身にえる重さ
だったが帰りは荷物の重さの喜び怖さの行き帰りでした、加久藤には不思議
にも深い縁が有りました、今では苦労乗り越えた平和な毎日を感謝しております・

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