2011年6月19日日曜日

終戦 物語 戦闘機操縦士 当時18歳終戦マーレ半島 アロルスータ

18年 10月大刀洗陸軍学校入校。滋賀県大津少年飛行兵学校入校。昭和19年7月20日ー大刀洗陸軍飛行学校卒業。19年8月新田原より重曝機に7人の戦友と南方戦線に向かう途中台湾をへてクラーク飛行場着「19年8月」 伍長拝命10月1日。19年10月22日 マニラ港出発。11月3日シンガポール上陸。20年3月泰 ・仏国境通過20年3月9日マレー半島アロルスタ-基地。6月9日南方軍第一行航空隊戦闘機操縦士となる。

訓練 郷土訪問飛行
大刀洗での訓練はグライダ-での訓練でした。60人の戦友が力を合わせ大きなゴム紐を引き反動で上に飛ぶのです。はじめは地上を滑るだけて゛したが少しづつ空に上がる様になりました。飛行兵
としての気持が強くなりました。

宮崎移動 初等練習機での訓練 
宮崎への移動が有り練習機での訓練を受けました。高千穂の峰上空での訓練飛行でしたが、教官の厚意で加久藤の母校上空を2度も飛ぶ事が出来ました。私に取っては夢みたいな出来ごとでした。フィリピンのクラークにて約4ケ月97式戦闘機の厳しい訓練を受け、戦闘機乗りの飛行兵となりました。連合軍の攻撃織烈となりました。 前の語り終わり 続きとします。

    「私の終戦」 (長谷敏通著)より

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愛知県 鈴木七朗様

7月20日の空襲により家は灰燼に帰し、私は瀕死の重傷を負い、まだ臥床中で、勤務先の東海銀行を休んでいた。ようやく近所に焼け残った家を借り、同じように被災した親族二家族と、隣家の
一家族の15人が雑居中で、飢餓生活の最中で、8月15日当日御前崎の防備隊に召集されていた弟が私の見舞に来ており、天皇の詔勅を聴いて戦争は終わったと飛んで帰って行った。

   けふをある命一つを雲の峰

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  昭和万葉俳句前書集(発行者 高木二朗 マルホ株式会社)より引用

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