終戦を機関区職場で知る。一夜にて外地の悲しさ安住の地を追われ、命の保障も
されない身となる。なにも可も失った日本人だった、集団にて撫順炭坑への移動
が始まりました、反日感情は激しい物があった様てしたが、良き引率者に恵まれ
何とか移動ができました。其の道中は女性は髪を切り苦難の旅でした、奥地に
新天地に夢見ていた開拓団の方達の引揚は生き地獄で様相は一生目の裏に
焼ついています、自害したのか、又殺されたのか、壕の中の死骸に手を合わせ
る余裕も無くただ生きるのみの毎日でした、夫は炭坑の使役に行き、私は朝鮮
部落より万十を仕入れ売り歩く毎日でした、其の年を何とか越す事が出来ました
が、もし引き揚がのびれば命は無かったでしょう、コロ島より舞鶴港に引揚る事ができ
ました、引揚後の苦労は色々ありましたが、みなさんに助けられて今が有る事を
感謝しております
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