8月10日と思います新田の田圃で機銃狙撃を受け溝に体毎無我夢中で隠れ真下。経験した事の無い恐ろしさでした、後から震いが止まりませんでした。学校
でも被害がありました、都城で機銃が大勢の人を殺したと聞きました、終戦の声
を聞き少しはほっとしました、其の年凄い台風がきました、高原の狭野神社の大
が倒れていました、鹿児島の姪の家を訪ねましたが龍が崎から汽車が通る事が
出来ず,米三升 醤油一升かたげて歩いて行った事が思い出されます
大阪より終戦前鹿児島県牧園に帰る。十九歳大阪の淀川で大空襲に逢いb29が
夜焼夷弾の明かりで昼の様に明るくなり、怖くて逃げ場も無く怖い思いをした事は
忘れられない
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