多くのひとが異国の地で祖国に帰る事も出来ず病と栄養失調で無くなりした。
死期を感じるのか、又死者がよぶのか死者の側に行き髭だらけ兵隊が最後に
お母さんと呟き死んで行ききした。其の死者の列は百ミ-トルの長さに成って
いました、想像も出来ない不思議な出来ごとでした。だれが名付けたか
靖国骸道と呼ぶ様になりました、終戦は山からでて現地の人から聞きました。
敗戦から一月ぐらい立っていました。 21年8月2日 復員の為 モ-ルメン港
出港 9月24日 シンガポ-ル出港 11月20日 門司上陸 21日夜吉松に着
く歩いて4年ぶり家に帰る夢見る事幾たびか
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