2011年5月24日火曜日

5 月24日曇り 大阪で見た事

店の駐車場に展示した災害現場の写真 瓦礫の被災地に救援の絆を終戦は栗下の家にいた水無口田圃で空襲にあつた。
戦時中大阪にいた。大阪駅の近くでアメリカの軍人が墜落した捕虜だったか道路にすわされているのをチラリとみた。大阪より加久藤に帰るのに一週間懸かってやっと帰れた、幾度か汽車が止まり、空襲をのがれた、家の馬が懲用に懸かり親父が都城まで
引いて入った、馬が老馬であったので又引いてかえってきた、カライモの木っ端まで
供出した苦しい毎日だった。終戦の時前の川が氾濫して大変だった。終戦の後兵隊
が良く民家に泊まりにきた、家にも泊まり帰りにおおきなヨキを置いて帰った事を思い出す、沢山の兵隊がいて良く園芸大会があった。見物に行く人もいた、終戦が今少し
後だったら私も今は亡かった途思う歳になった

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