2011年6月17日金曜日

 終戦 物語 ノン と シタメ

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人の血を吸って生きる物に蚤と虱がいた。ノンは赤茶色か飴色で光沢があり胡麻より小さく230センチは軽くとんだ。肌着にいて逃げるのが速「蚤一匹若い女を裸にし」とか云う川柳も有り、指に唾を付けて素早く抑えないと次に飛んでいった。畳で繁殖するとも言われ、臼庭にも沢山いて、足に飛びついてぞろぞろと上ってくるもだった。ノンの多い家少ない家があって「どこどこの家はノンが多かがなー」といつたりした、夏にいた。  シタメには髪の毛にいる黒いのと肌着にいる白い衣虱が板。男は皆丸坊主だったのでいなかったが女の子の髪に沢山いた。母親が取ってくれたり姉妹で取り合ったりしていた。

頭を洗わ無い人に多いようで親の注意や生活程度とも関係があるように思えた。ビンダレ『木製洗面器」に湯を入れ上半身裸で髪を洗うのをよく見かけた。頭の地肌か髪の毛にしがみ付いており、爪でしごき取り縁の板の上の上等で親指の爪で潰すのだった。

衣虱は満州から兵隊が持って来たとも衣われていた。冬の寒い時季に肌着の縫い目におり、体のあらゆる所を刺すといぅか吸い付いて血を吸うのであった。肌には赤い吸口が沢山出来、痒いので常に体を動かし「シメタ踊り」と言う新語もうまれた。繁殖が早くシャツ等の縫目に何十匹もいて両手の親指の爪で潰すと爪は血で真赤になるのだった。またシメタも白いのに血を吸って腹が赤くなっていた。又縫い目には何百個もの白く光る卵を生み付けていた。とても取り切れないので母は下着を風呂に入れて煮るのだった。それでも何日かすると湧く様に繁殖しシメタ踊りをさせられるのだった。米軍がDDT殺虫剤を持って来て絶滅したようだった。 
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  「第33号 えびの」(発行者えびの市 史談会 江藤則男編集)より引用

シラミ.では私達ソ連での抑留 生活で シラミの大軍には手をあげました、江藤さんの話と全く同じで大変な苦労しました今では笑い話になりますが、熱が出でて苦しむ戦友もいました。後ではソ連側の協力でおらなくなりましたが、鉄条網で囲まれた捕慮と故郷の人達と同じ苦しみをした事は語りつぎたいと思います。

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