2011年6月30日木曜日

終戦物語 奈良の航空隊現在天理市

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絵柳 益夫様 宮崎県

陸軍 海軍に志願する。海軍より合格通知が早くきた。そして後から陸軍よりも通知があった。昭和20年6月13日
栗下を後にする。加久籐1名 真幸2名だった。6月15日奈良航空隊に少年航空兵として入隊。7月頃から空襲が激しくなる。20年8月15日、奈良航空隊練兵場に全員集合して天皇陛下のラジオ放送を聞く。一同声無く胸中張りさけるものあり、
全国より志願せし第64分隊245人を集め、国の再建は君達にあると分隊長の訓辞があり、滅私 奉公 国に殉する事無く一週間かかって栗下に復員する。
.帰路貨車であったがあったが広島の原爆の跡を垣間見る事が出来て其の光景は忘れる事はできない。近所の山林に石川部隊こが残留していた。空に雲を引いて飛ぶ     
B29 を見上げ、何か空しい気持ちとなる。宮崎空港 今の赤江などで作ぎように従した事が思い出される、復員後は家で農業にはげんだ。昭和61年栗下区民生委員を拝命、戦後を支えた人達も高齢者となられ、これからは福祉社会への杖となる事を願った。氏は長年の民政委員として市より特別表彰をうけられました。

現在もご 元気にて区民の信望を得ましてご活躍されておられます

 「私の終戦」長谷著者より

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