2011年6月18日土曜日

終戦 物語 女学生ながらも モンペ姿に軍帽

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静岡県 杉山雅子様

学徒動員先の日本兵器廠豊橋工場空襲で焼け、幸田工場へ、しばしば汽車が動かず、線路づたいに歩いて通勤しました。玉音は、夏草茂る工場の空地で。女学生ながらモンペ姿に軍帽。一途に国を思い、国の為に一生懸命働きました。
 
    青春のぽかり穴あき夏の雲

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愛知県 安藤幸子様
終戦当時、私は国民学校四年生の夏休みでした、幸い戦災もうけず、当日は自宅の庭で、近所の人たちと玉音放送を聴き、これで南方の父も帰ると喜んだののでした。奇しくも二年後、父の戦死の公報は終戦の日でした。

    終戦日寡婦となりたる母老いし

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     昭和万葉俳句前書集(発行者 高木二朗)より引用



戦争で多くの人が亡くなりました 待ちに待った夫の戦死 戦争は残酷 無情 残された人達の苦労はいかばかりで合った事でしょう。

    終戦時 平均寿命 男24 女38 悲しい事実

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