2011年6月21日火曜日

終戦 物語 敗戦 復員 父の死

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20年8月15日 全員にて敗戦を聞く。交戦を主帳する声大なるも大勢は無条件降伏の止む無きに至る。一時現地人不穏な空気あれど大きな混乱はありませんでししたた。武装解除は平穏にイギリス軍の立合でした。驚いた事に婦人の軍人が多い事でした兵隊は黒人兵でした。半年ばかし食べる事に苦労しましたが、後から改善されました。二年以上の抑留でしたが、使役は 荷揚 便所汲み 道路作り 洗濯でした。必勝を信じ若き血潮を祖国に捧げんと国を後にしましたが果たせず、22年10月1日シンガポ-ルで復員船に10月14日、宇治港上陸して無事復員し現在に至っております。


父の死
南方に出撃前国富の宿に父が面会にきました。滅私奉公生きて帰らじと涙をながして励ましてくれました。今子を持つ身となり私自身頼りの子供  (宇宙に衛星打ち上げ業務)優秀な青年でした病にて早く無くなりました」を無くした今励ましてくれた父の胸中を思い複雑な気持ちです。命長らえ帰還せしも父の姿無く私の命と
換であったとしか思われません。復員後宮崎復員局より通知が有り引揚金支払を受け取りに妹と出かけました。宮崎は焼け野原でした。支払金は以外に少く妹との約束どころか帰りの旅費もやっとで帰る事ができました。終わります。
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(私の終戦 2)    長谷敏通著

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