2011年6月20日月曜日

終戦 物語 続き 特攻機 志願

戦局が厳しくなり、20年3月全員があつまり特攻機について上官より詳しい説明がありました。上からの命令で無くあくまでも君達の判断であると個人的にすべての家庭的事情間で話しあいました。決断は全員が目隠する事になり、志願する隊員は手を上げる事になりました。私迷う事無く右手をあげました。後日お互いに胸中を話し合いましたが複雑なものがありました。

私は新田原を出発する前父が面会にきました。特別の許可をえて宿で父が戦地に行く私に滅私奉公を説き命は国に捧げて来いと言われました。

時局といえ当時の父の胸中を思い私も子を持つ親となり時代の流れと平和な今を有難くおもいます。戦時中は出征兵士の家の庭には必ず大くて長い竹に日の丸をつけて立って居ました。父母がどんな思いで見ていたか知る由も有りません。連合軍の攻撃は激しく昼夜とはず其の物量には抗する事出来ず、決死の覚悟で待機せしも、出撃の時無く無念終戦と成りました。知覧特攻平和会館に一番機で出撃した戦友の大村小尉の遺影があります。私は出撃する事無く帰還しました。

中編 終わり

    「私の終戦 2号」 (長谷著)より

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北街道 吉田 龍耳 様

終戦の日、上官である校長から其の事実をしらされ、みんなで号泣した。処は滋賀県 大津市にあった陸軍少年飛行学校、16歳の少年は、空駆ける職業軍人を夢見ていたのである。大空にこそ死
に場所があると信じていたのである。

  少年兵 死を阻まれし 終戦日  
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   昭和万葉俳句前書集(発行者 高木二朗 発行所マルホ株式会社)より引用

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