2011年11月9日水曜日

終戦物語 昼ご飯も喉もとをらず

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福岡県   池辺 芳子



学校勤務の良人を北九州の戸畑に一人いてもらい、私わ幼い4人の子供と共に田川郡の田舎の村に疎開して畑を造り、農家から分けて貰った米で残飯は、干飯にして本土決戦の折りの食糧に蓄え足りしておりました。降服の報に接し、子供とかこんだ昼食も喉かとおらず、蝿がたまるままで有ったのを思い出します。 

決戦も せぬまま無念干飯櫃


福岡市在住 城谷 文四郎 

福岡市立第一病院長。正午陛下の御放送を汗と涙をもって拝聴。進駐軍に備え、患者、看護婦の手配。自らも院長として病院と運命を共にすべき院内に残瑠。 崎八万宮に詣で、勅額の伏手鬼門を仰ぎ涙が止まらなかった。


勅額の伏敵門下汗滂沱 



福岡県   亀山 正義  


学徒出陣の幹部候補生として久留米予備仕官学校に在り、連日激しい肉弾戦の訓練をしていました。空襲で瓦礫と化した市内で作業中に終戦の詔勅を聴き、若い血のたぎり押さえ難い気持でした。


御紋章 削りし銃身陽に灼くる。


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引用元   「昭和万葉俳句前書集」  【高木 二朗発行】

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