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福岡県 池辺 芳子
学校勤務の良人を北九州の戸畑に一人いてもらい、私わ幼い4人の子供と共に田川郡の田舎の村に疎開して畑を造り、農家から分けて貰った米で残飯は、干飯にして本土決戦の折りの食糧に蓄え足りしておりました。降服の報に接し、子供とかこんだ昼食も喉かとおらず、蝿がたまるままで有ったのを思い出します。
決戦も せぬまま無念干飯櫃
福岡市在住 城谷 文四郎
福岡市立第一病院長。正午陛下の御放送を汗と涙をもって拝聴。進駐軍に備え、患者、看護婦の手配。自らも院長として病院と運命を共にすべき院内に残瑠。 崎八万宮に詣で、勅額の伏手鬼門を仰ぎ涙が止まらなかった。
勅額の伏敵門下汗滂沱
福岡県 亀山 正義
学徒出陣の幹部候補生として久留米予備仕官学校に在り、連日激しい肉弾戦の訓練をしていました。空襲で瓦礫と化した市内で作業中に終戦の詔勅を聴き、若い血のたぎり押さえ難い気持でした。
御紋章 削りし銃身陽に灼くる。
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引用元 「昭和万葉俳句前書集」 【高木 二朗発行】
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