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満州 神奈川県 吉田 正義
ソ連軍国境突破、侵攻により、満州国立中央特別連成所生3,200余人は、召集令一片により、戦闘要員となり、関東軍教育班員が中概となり、臨戦態勢をととのえる。各所に歩哨地、戦車壕を堀りて防戦態勢なるも、火器少なく、他の装備も悪かった。
大和魂のみではどうにも鳴らない、職業軍人は一人も無く、召集兵のみでは、悲しい極みであった。満州国立中央特別錬成所福所長
汗に泣き 夏草刈りて土壕ほる
広島県 林 つぎ
昭和20年8月九日ソ連の参戦、爆撃を受けつつソ満国境の東満総省より、五月生まれの嬰児を抱き、リユサックを背負い、着のみ着のままの姿で避難民となり、新京の小学校に収容さのました。主人は応召中でした。
炎天にたどる 異国の収容所
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引用元 「昭和万葉俳句前書集」 (高木 二朗発行)
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