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東京都 武籐 文雄 広島県
終戦直後、東京の中央政府機関がその機能が喪失した場合の為、地方ブロックごとに地方総監府を設け、府県及び政府出先官庁の一切を指揮する事になり、私は総監秘書官として広島に赴任しました。しかし、その機能を発揮する前に原爆に遭い、総監をはじめとし多数の殉職者がでました。私は九死に一生を得、まもなく8月15日を迎えました。当時の事は生涯私の脳裏を離れません。
終戦日 被爆のドームとこしなに
京都市 薄木 千代子 広島にて
終戦当日、広島で被爆した夫の看病をして広島にいました、電車の中で原爆に遭った夫は、一見無傷でしたが、次第に喉、胃とい痛み、兆候が現れ、被爆人ばかりで病院も手足らず、医者も手当ての分からぬ有様で、井戸水を貰い、冷やすぐらいしか出来ぬ始末でした (30日逝く) 合掌
被爆夫 とおほみこと聞く終戦日
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引用元 「昭和万葉俳句前書集」 (高木 二郎発行)
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