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宮崎県 畠山 サミ様 当時15歳
私の家の近くに山がありました、兵隊さんが多数来ていろんな物を利用して住まいを作り訓練に励んでおりました。私は父に連れられてゆきましたテントの入り口に
は竹槍を持った兵隊さんがたっていました。
中には一番偉い方で。夜には私の家の風呂に良く来られて父と話をされておられました。父が里は何処ですかと聴いたら群馬県ですといわれました。8月15日にラジオを聴きに来られて終戦を聴かれ。日本は負けたと畳を叩いて泣かれましたその事は未だに忘れられません。
帰られる時家にこられて涙をながして残念だと云われてかえられました。汽車に乗って帰られる時屋根の上まで乗って帰られた事は悲惨に思います 戦争はしていけないと思います。
(私の終戦 )著者 長谷敏通
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大阪府 水野 恵以様
堺市金岡大阪陸軍病院外科第25病棟勤務。ただ一人の兄が戦死。御国にご奉公の一念に燃え、陸軍病院に志願。白衣の天使として一心不乱、一億火の玉゜「ほしがりません勝っまでは」と、青春時代を捧げ、大和撫子と咲き、また、散るよう訓辞を受け、両親宛遺言遺髪爪を見につけがんばりました。
玉音や冷水あびし思ひにも
昭和万葉俳句前書集 発行者高木二朗 発行所 マルホ株式会社より引用
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国の勝利を信じていかに頑張ってか当時の気持そのままです。
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