2011年7月31日日曜日

終戦物語 長崎と満州での終戦物語 続き

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 宮崎県   大牟田 一成様
原子爆弾 威力     長崎の原子爆弾の爆発により放出されたエネレギ-は、熱線35%/ ・放射線15%・ 爆風50% と推定されている。長崎の原爆の放出された熱線は爆心地から一、二キロメートル以内は人体には致命的となり、

重傷者は表皮は焼けただれてはがれ落ち、皮下の骨まで露出するほどであつた。爆心地から約4キロ離れた地点でも。、野外の人は重傷を負った。又熱線は大規模な火災を起こした。爆風は爆心地から一キロ以内の一般家屋を破壊し、強烈な爆風は人や動物まで吹き飛きとばし殺傷した、。放射線を1キロ以内で被爆して無傷であった人てもその後多くが死亡した。また被爆直後から嘔吐。下痢。発熱。皮下出血などの症状が重なり、一週間たつた頃から死亡者が増加した。 

九死に一生をえて幸いに生きのこった人に、放射線は今もなお人体に影響を与えつっ゛けていて、白血症や悪性腫瘍など様々な症状を引き起こしている。「原爆被爆災記録写真より」

宮崎県では、昭和35「1960」年に宮崎県原爆被害者会が発足した。昭和45「1970」年には「閃光は今もなお」を編集、鉱脈社から発行。昭和62「1987」年に「続・閃光は今もなを」 を編集平成2「1990」年に宮崎県原爆被害者の会延岡支部は「熱い**水をくれ」を編集発行、平成8「1996」に同日南支部は「閃光のかなた」を編集発行。被爆の思いをつなぐ会は「遺言、宮崎のヒロシマ・ナガサキ」編集、鉱脈社から発行。同8年には西諸六九会は「原子爆弾 被爆体験記集」を編集発行、県原爆被害者の会は、戦後65年悲惨な被爆体験を風化させないように、次世代へとつたえていかなければとの被爆者の願い思いから、是まで出版された記録に新たな証言・記録を集めて「ヒロシマ・ナガサキ 宮崎から証言」 「県内146人の65年間にわたる証言集」 として今年平成22年に鉱脈社から発行した。


引用元***「えびの第45号」   (えびの市史談会発行)

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放射線の被害の怖ろしい事は、今 福島にての事故 東北の人達の思いもしない、放射の被害に言葉も有りません、一日も早く元の生活が出来る事を祈るばかしです

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