2011年8月2日火曜日

終戦物語 青酸カリをポケットに

************* ここから***************

大阪市     大岩 美智子様

敗戦当日は岡山県赤穂郡瀬戸町瀬戸、県立瀬戸高等女学校にいた。上級生は水島に動員。校舎の半分を呉海軍工廠分工場として使用。私達学年は、学内にあいて双眼鏡の生産に従事、当日だれが持ち出したかのか、青酸カリを各々ポケットにしのばせ、アメリカ兵の来る前にと死を覚悟したのを記憶している。


夏草や 覚悟の薬にぎりしめ



*************ここから*************

富山県     川島 勇次様


20年6月、軍艦「利根」に乗り組を命ぜられ、海軍経理学校より呉軍港江田内で乗艦した、当時「利根」は、多くの戦績にもかかわらず、燃料がなく、張り子の虎となって海軍兵学校生徒の乗艦を持つ呉練習隊に編入していた。7月24日と28日の両日にわたり、米英機動部隊の艦載機と大型爆撃機のべ千機が、在港艦船を攻撃した。

「利根」は、伊勢 日向  大淀と共に終日、防空砲台として応戦し、多数の戦死者を出してその命脈を断ったのである。「利根」は左に21度傾斜し、江田内沿岸に大破したので、残務を処理するため、江田島佐伯小学校に移り、終戦を迎えた。 
軍艦利根庶務事務室先伍下士  海軍上等主計兵曹

古鷹の 雲の峰へと紅蓮炎

****************ここまで**************

引用元**「昭和万葉俳句前集」」      「高木二朗様」

終戦前 いかに米英の物量の大きさに今となれば、驚くばかしです、その攻撃に立ち向かった人達の気持を思い亡くなられて多くの人達にご冥福を祈り、感謝の気持を持ち続ける事を誓います。

0 件のコメント:

コメントを投稿