2011年8月23日火曜日

終戦物語  爆撃機150機の集中爆撃をうく

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愛知県      阿垣 映子

愛知県豊川市にありました豊川海軍工廠は敷地坪総坪数594.400坪・最盛期の工
員数約6万人、海軍兵器生産東洋一の大偉容を誇っておりました、昭和20年8月日
午前10時30分、b29 爆撃機約150機の集中爆撃を受け、死者2,477人負傷者1万余人といぅ犠牲者をだしました。私わ、豊川海軍共済病院看護婦養成所第三期生。当時15歳でした、

防空壕の中で此の弾でも生きていた、又生きていたね、と友達同士手を握り締めておりました、一瞬母に、家族に会いたい、母の顔を瞼に焼き付けて、死を覚悟しておりました、防空壕を出た途端、一面黒煙が上がり、負傷者がゴロゴロしております。負傷者を担送しているのに執拗に艦載機が追撃してきます、木陰に隠れながら走りました、救護所は各所に設置されました。民家の座敷もみるみるうちに負傷者で阿鼻叫喚の修羅場と化しました、遺体は松原に、見渡す限り置き去りにされておりました。

艦載機 木陰に隠れ 担送す

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引用元***「昭和万葉俳句前集」   (高木 二朗)


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