2011年8月15日月曜日

終戦物語 子供時代の思い出 ノンとシタメ

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宮崎県    江藤 則夫様

人の血を吸って生きる物に蚤と虱がいた。ノンは赤茶色か飴色で光沢があり胡麻よりも小さく二三センチは軽くとんだ。肌着にいて逃げるが速く、「のみ一匹若い女を裸にし」とかという川柳も有り、指に唾を付けて素早く抑え無いと次に飛んで行った、畳で繁殖するともいわれ、臼庭にも沢山いて、足にとびついてぞろぞろと上がって来るものだったノンの多い家少ない家があつて「何処何処の家がノンが多かがなー」と言ったりした夏にいた。

シタメには髪の毛にいる黒いのと肌着にいる白い衣虱がいた。男はみな丸坊主だったのでいなかったが、女の子の髪に沢いた、母親が捕ってくれたり姉妹で取り合ったりした。頭をあらはない人に多い様で親の注意や生活程度とも関係が有るようにみえた。ビンダレ「木製洗面器」に湯を入れ上半身で髪を洗うのをよくみかけた。頭の自肌か髪の毛にしがみ付いており、爪でしごき取り緑の板の上等で親指で潰すのだった。

蚤 虱は満州から兵隊が持ってきたともいわれていた、冬の寒い時季に肌着の縫い目におり、体のあらゆるところ刺すと言うか吸い付いて血を吸うのであつた、肌には赤い吸口が沢山でき、痒いので常に体を動かし「シタメ踊り」という新語も生まれた。繁殖が早くシャツ等の縫目に何十匹もいて両手の爪で潰すと爪は真赤になるものだった。又シタメも白いのに血を吸って腹が赤くなっていた。又縫目には何百個もの白く光る卵を生み付けていた。とても捕りきれないので母は下着は全部風呂にいれて煮る物だった。それでも何日かすると湧く用に繁殖してシタメ踊りをさせられるのだった
。米軍がddt殺虫剤を持ってきて絶滅したようだった。
後 終戦前後のそのままのお話を続けさせて頂きます
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引用元 *** えびの市 「史談史より抜粋」   (江藤 則夫著)

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