2011年8月8日月曜日

終戦物語 中国の兵隊に幾度も

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南部満州   東京   深沢 宏子様


満州国 撫順市の市公社に住んでいました、夫が満州国の官吏で撫順市の防衛参事官でした、私は20年7月に長女を出産しました。敗戦後は中国の兵隊に幾度も家に押し入れられ、又ソ蓮の兵隊も女を出せと押し入ってきて怖ろしい目に遭いました。

乱れにし 心は盆の母のもと


南部満州    大阪府   井上 操乎様


奉天市、8月15日は会社命令で営口へ疎開す、長女3歳、長男11月、不自由な生活の中で長男病得、重体となる。終戦の報伝わるや、すぐ満人は暴虐をきわめ、殺人、暴行多発、生きて心地せず、8月末帰宅、3日後長男死亡、主人は戦地から未だ帰らず、当時24歳。

灼くる風に 大君の声とぎれがち


南部満州    兵庫県    生尾 さだみ様

8月15日には、満州国本渓湖市に住んでいました、当時私は、新京特別市の女子師道大学の学生で、夏休の為自宅に帰省していました。将来は満州国の女子教育に身を捧げたいと決心していたところです、祖国が破れ、原住民の反乱、若かった父の死と、強烈な過去は、未だに拭い切れないのです。

大西日 つぶてとなりていくさ果つ


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引用元**「昭和万葉俳句前書集』 (高木二朗発行  )


敗戦の事実は外地の日本人には住む家も無く命の危険に毎日おびえて暮らす日々
で遭った事を皆様書いておられます、事なかばで多くの命が無惨にも奪われた史実を忘れる事無く、肝に銘じておくべきと思います、私『長谷」も青春時代 新京で5年間
過ごし『20年 7月現地入隊 北満州にて抑留3年 23年舞鶴上陸」想いはつきない
新京特別市です、今えびの市には『長春」前の新京から日本の大学受験のため1年間勉学に励んでおります、まじめな学生ですほとんどの学生が大学に進学しております。新京か懐かしく留学生と楽しく交流しております。世の中が 変わりこんな縁がある事の不思議を感し゜ております。

*****************此の話是まで*****************

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