************* ここか*************
台湾にて 平松 正五郎
終戦時は、鹿屋海軍航空隊大鷲部隊残留班と言っても、鹿児島県鹿屋でなく、台湾台北市郊外の松山飛行場「陸軍管理にて周辺は陸軍部隊が固めていた」に飛行場待機員として勤務
15日の放送は敗色濃いものの、ソ蓮参戦に依る激励の勅語とおもいが、終戦の詔勅にて、是までの生死をかけた苦労は何だったのかと、講堂に安置してあった白木の箱の前で、友と号泣したことが昨日の如く偲ばれる。
三日前 終戦なれば 友逝かず
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引用元 (昭和万葉俳句前書集 「高木 二朗著」
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