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パソコン使い戦争を伝える
昭和20年、満州新京(現長春)満鉄社員輸送業務に励む。7月現地で入隊、北満州国境部隊配属かなたはソ連の山だと古兵が語る。9日ごろソ連軍突如侵入、其の重装備に抗する手段もなく我が中隊は後方に転進。10日後に山中で終戦をしる。現地で中隊は解散する。
5人して逃亡中ソ連兵に包囲され、銃撃、最悪の捕虜となり、3年の抑留のはじまりであった。異国に眠る多くの友への思いを胸に残し23年舞鶴上陸。鹿児島の戦友の安否を役場に連絡すると、戦死との返信で戦争の残酷を悲し憎しみ胸がつまる。
孫も離れ 友人も多く亡くなっていき、昔話も消え行く今日。終戦前後の様々な出来事を若い人達につたえたく、少し覚えたパソコンで内地、外地で国の保護をなくした日本人の苦しみを体力の続く限り伝えたいと思います。世が変わり今ではえびの市に長春より多くの学生が留学して、日本の大学受験に勉学に励んでおります。素晴らしいことです。また、孫がぢいちゃんみてるとのメ-ルが楽しみです。
宮崎県 えびの市 長 谷 敏 通 投稿 86歳 平成23年 8月27日宮崎日日新聞
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