2011年8月26日金曜日

終戦物語 故郷に帰れ

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鹿児島県鹿屋    香川県   豊田 健三

甲飛予科練習生として鹿屋基地の横穴壕で起居していました。終戦もしらされず、敵の爆撃
の目をくらますための模造の飛行機の場所替えなど、作業ばかりしていました。8月20日
過ぎ夜半起こされ、故郷に帰れとの事でした・

炎天下 拾い手捨てぬ敵のビラ

鹿児島県 伊作町   福岡県  鹿児島 泰蔵

8月15日早朝、薩摩半島伊作町と谷山町を結ぶ国道の峠の杉林の中にある野営地を出發
して、池田湖畔の軍弾薬集積所に向かった時の「弾薬受領」という武者震にもにた緊張感は
私終戦の聖勅と共にひとたまりもなく崩れ、放心にた気持で帰途をいそぐ

何で負けたか、やはり物量戦に惨敗だ。悔しさが込み上げてくる。最初の応召で中支、北支
を駆け回った記憶がよみがえる。二度目の応召は原隊で、そして今度の三度目の応召に*
*********。ささやかな私一人の軍歴が泡の様に消えさつた。これからの日本はとうなるも
のか。故郷の年老いた両親をどう守ってゆけばよいのか。そして自分は・

終戦日 消えし手牒の兵事歴


鹿児島県桜島   香川県  豊嶋 俊夫


鹿児島県桜島、海軍の第五特攻戦隊司令部「水上特攻隊」で、南九州の海岸防衛に従事。
米軍の宮崎、鹿児島への進行が迫っており、皆必死必殺を期しながらも、好み身が玉と
る散る時と 所を模索していた。

生くべきか 死ずべきか立つか雲の峰

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引用元****「昭和万葉俳句前書集  (高木 二朗)



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