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東部満州 愛知県 木屋 孝正
旧満州の老国山、羅子溝方面において、対ソ聯との戦闘に参加したが、停戦となり、敗戦による武装解除を受ける、満ソ国境に近い所、部隊は全滅に近い。僅かの経理班員は、敵中突入をけっして、手りゅう弾を手に立ち上がった、折しも停戦命令がきた。行動を中止して雑木の丘にのぼる。そこ軍旗の奉旗ありと知らされ、全員挙手のうち点火わなす。嗚呼。
手りゅう弾 もつ掌むなしもいくさ止む
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東部満州 大分県 富田 晋
昭和20年5月、ソ聯の参戦に備え、満ソ国境の東寧に召集され、毎日毎日が陣地構築に重労働の連続でした、小銃は3人に一つ、帯剣と手瑠弾だけの装備、いかにも敗戦末期の症状でした。8月9日ソ連の参戦で、ソ連軍が戦車を戦闘に怒濤の如き勢いで国境を突破して進攻してきました、今日で私の命は終わるのかと思うと、両親、兄弟のことが思い出されて泣いてしまいました。
終戦に もろ手をあげる初年兵
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引用元 ****゜「昭和万葉俳句前書集」 (高木 二朗発行)
国境 老国山 部隊に7月現地人召集で私 輸送業務関係者にも最後の現地入隊、お二人
の記事の内容に衝いては私も同じ体験です、 国境の日本軍が重装備のソ連軍に身をすて
国の守りの為戦った事を残したい思いす。
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