2011年9月1日木曜日

終戦物語  一発の銃声

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仏印西貢(サイゴン)   東久留米市  五百川 勇

補助軍曹として終戦の詔勅を聴く。戦記を焼き、ほのかな慕情を通わせた安南の娘との別れ,夜ふけて己の身の始末。ヒストルを前にして近くに一發の銃声。戦友某の最後か。

アヲザイ娘 背負いて 泣くや木下闇


ベトナム       茨木県       桧山  芳 

当日現 ベトナムのダナン市郊外にある飛行場の片隅で、通信兵として軍務に服していた。正午にいたり、玉音を傍受せる兵あわただしく入り来り、終戦を告ぐ。一同唖然自失そのなすべき所知らず

敗戦の軍靴が 重し蟻の道


ブ-ゲンビル島にて   神奈川県  山崎 三郎


昭和20年8月15日、私は海軍設営隊員「海軍上技曹」として、ソロモン諸島ブーゲンビル島において、栄養失調症ながら、敵「米濠軍、約20キロ地点」と決戦対峙していた時、終戦になりました。それまでに隊員が934名、飢えとマラニア等で戦没死 しました。

密林にビラが撒かれる 平和の夏


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引用元  「昭和万葉俳句前集」    (高木 二朗発行 )


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プ-ゲンビル島での戦いは 武器 食量の補給がなくなり、日本軍は苦しい戦いをされたときかされ
ました、なくなられた多くの方のご冥福をお祈りいたします、私の義兄も機関銃隊の隊長として負傷せし身を返り見ず突撃隊に参加、アメリカ軍の艦砲射撃にジヤングルが禿山に変わり果てたと帰還された戦友が最後の戦の様子を話されたと聞いております、将来を有望された義兄は戦死、陸軍大尉、靖国神社に祭られております。

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