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鹿児島県特攻基地 千葉県 内藤 秀夫
鹿児島県の特攻基地で飛行機の整備にあたる、九死に一生の生をも許さぬ若き特攻隊は重い爆弾を抱き、日の丸の鉢巻きをきりりと締め、目尻をつり上げ、顔を真赤にして空の一点を睨む。彼らは、基地の乙女が胸を震わせ涙を絶えて振る白いハンカチに送られ、次ぎ次と散って行った。そして8月15日終戦
行く雲に 何と伝えん今日の日を
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鹿児島県山川町 大阪府 水流 保
国民学校二年生。8月12日昼過ぎ山川町成川。米軍焼夷弾にて農家13戸焼失、死傷者数人、母屋丸焼、祖母は孫二人し防空壕で布団をかぶり助かる3日たつた15日焼け落ちた木材がくすぶっていた。村役場が戦争は終わったと告げにくる。
村役の戦争終わり告げに来る
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鹿児島県菱刈町 鹿児島市 有馬 愛
伊佐郡菱刈町前日にて敗戦を聴く。昭和20年3月中旬、次男は海軍兵学校入学の為、故郷山川町
出發、3月29日、米軍の山川港空襲によって、夫は戦災死。疎開先の前日にて、6人の子供を育て、生きる。
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宮崎県 埼玉県 野別 忠孝
当時小学3年生。九州日向の片田舎に兄の戦死がもたされる。兄を戦場に送る時に振った日の丸の旗が鮮やかによみがえってきた。「しばらくは国旗を掲げる事もできないだろう」幼い胸がそう叫んでいた。もう優しかった兄はかえらない。暫くして母に連れられて行った野原に炸裂した跡があり、
その真新しい土の裂け目に一本の野すみれがなぜか季節はずれに咲いていた。小さい胸に悲しみが突き上げて来た。
草野裂く 爆弾跡湖に 夏すみれ
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引用元 「昭和万葉俳句前書集」 (高木 二朗発行)
終戦前後の各地の悲しい出来事がありのまま伝えられております、其のひと言に苦しみに絶えながら多くの人達がたえしのんで来ました、其の事を書き込む私も胸が詰まりそうです、真実を伝え戦争に対して憎しみと平和のありがたさを感謝しましょう
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